06 作話と自己愛と損得勘定

 恋人だから、夫婦だから、親だから、ファンだから――愛の幻想を悪用し、大切な人を傷つける数多くの行為が自己愛によって引き起こされていることがお分かりいただけたことと思う。

 どうしてこのような勘違いをしてしまうのだろうか。そして、それに気付くことが出来ないのだろうか。

 それは、人間の脳が「作話(さくわ)」をするという性質を持っているから。

「脳 作話」のキーワードでネット検索してもらえば、記憶障害についてのエピソード等で悪意もなく平然と作り話をしてしまう人々の症例を山ほど目にすることが出来る。
 そのような病気の場合のみならず、僕たちは日常的に自らの行いを正当化するため、無意識に都合のいい作り話や理由を捏造するところがある。

 ダイエットしようとしたことがある人ならよく分かるよね。『今日は体調が良くないから』とか、『明日のために疲れを取らなきゃいけないから』とか、それまで思いもしなかった「食べてもいい理由」が続々と頭の中に作り出されていく。

 やりたくもない勉強や筋トレをするときもそうだよね。いざ机に向かったり、トレーニングを始めようとしたタイミングで急に部屋の掃除を始めてみたくなったり、どうでもいいことが気になり出してネットを見てダラダラと時間を無駄にしてしまったりする。

 このような脳の働きが自分が得をするための都合の良い解釈や身勝手な理由を捏造していくわけだけど、どうしてその逆の食べちゃダメな理由とか、勉強や筋トレをしなきゃいけない理由の方を作話してくれないんだろうね。

 それは僕たち自身の中に、「気持ち良さを感じている素敵な自分に会いたい」という強い欲求があるからだ。

《素敵な自分、惨めな自分》

 僕たち人間には、誰にだって強い自己愛がある――こういう言い方をすると、「いや、私は自分が嫌いだ、自己愛なんかない」と反発したがる人もいるかと思うけど、それでも自分自身を「気持ち良くさせたい」という欲求があることは否定できないだろう。
 毎日ご飯をあげ、睡眠を与え、トイレに行かせ、不快感に苦しまないように一生懸命に自分を気持ち良くさせようとしている。
 身体が痒くなれば搔くし、痰が詰まれば咳が出るし、無意識にも全神経が勝手に動き続け、常に自分を気持ち良くさせようとしてくれている。

 ちょっとロマンチックな言い方をすれば、「気持ち良さを感じている素敵な自分に会いたい」という思いが非常に強い生き物なんだ。

 誰かを好きになるときだってそうだよね。

 相手の事情や気持ちなどおかまいなしに、あの人と会話をしてウキウキしている素敵な自分に会いたい、あの人と手を繋いでドキドキしている素敵な自分に会いたい、あの人とキスをして誇らしい体験をした素敵な自分に会いたいと思って恋をする。

 一見するとネガティブに見えるような行動だってみんなそうだよ。

 他人の陰口を言ったりするときだって、あの人がいかに酷い人かを口にしてスッキリしている素敵な自分に会いたい、味方を増やし、あの人を孤立させて遠くから嘲笑う素敵な自分に会いたい、本当の自分の強さ、恐さ、正しさを他人に理解してもらえている素敵な自分に会いたくて喋っている。

 このような欲求があるゆえに、表裏一体で「不快感を感じている惨めな自分に会いたくない」という欲求もとても強いものがある。

 毎日行きたくもない学校に、会社に、ため息をつきながら向かう人がいるのもこのためだよね。
 行かないと誰かに怒られたり、そのコミュニティでの立場が悪くなったりと、不快感を感じている惨めな自分に会うことになると思うから、それを避けるために自分の足を動かして学校や会社に行っている。

 引きこもりの人が外に出られなくなってしまうのもこのせいだ。わざわざ外に出て惨めな自分に会うよりは、家の中にいてゲームなどをやって素敵な自分と会っていた方が安心安全で居心地がいいから、ずっと家の中に居続けようとしてしまう。

 覚せい剤の常習者も、耐え難い欲求を我慢し続けている惨めな自分に会うより、あの快感を味わっている素敵な自分に会いたいから止められない。

 他人の嫌がることをすすんでやっている人たちだって、誇らしい気持ちや充実感を感じている素敵な自分に会いたくてやっているし、SMプレイが好きな人も身体を痛めつけられてエクスタシーを味わっている素敵な自分に会いたくて鞭で打たれている。

 究極を言えば自殺だって、もうこれ以上惨めな自分に会わないために、一切の苦しみから解放された素敵な自分に会いたくて行われる。

 逆に全く素敵な自分に会う可能性がないことは、惨めな自分にしか会えないことは 、僕たちには出来ない。

 君だってお付き合いをしても全く自分に得がないと思う人から告白されたとしても、絶対に付き合うことは出来ないでしょう。

「なんとなく寂しくて恋人が欲しかった」とか、「性欲を満たしたかった」とか、「断って嫌われることが恐かった」とか、少しでも素敵な自分に会える可能性が含まれていればそれに応じることが出来るけど、何もなく惨めな自分に会うことにしかならない相手とは付き合うことができない。

 ――この素敵な自分に会いたい、惨めな自分に会いたくないという強い欲求があるのは、僕たちが人間という種族である以上、仕方のないことなんだろうね。

 もうずっと原始時代の頃から、仲間たちに褒められた素敵な自分に会いたくて火をおこしたり、獣の肉を食べている素敵な自分に会いたくて狩りをしたり、彼から綺麗だと言われる素敵な自分に会いたくて花飾りを作ったりしてきた。

 人間の脳内では褒められたときとお金をもらったとき、どちらも同じ報酬系という部位が反応して快感を生み出している。

 お金をもらったとき、拍手喝采を浴びたとき、美味しいものを食べたとき、みんな同じように脳内に快楽物質が溢れて気持ち良くなっている。
 つまり、僕らにとって気持ちの得はお金の得と同等の価値を持っているんだ。

 それらを常に追い求めてきたからこそ、人間は世界中で大繁殖し、宇宙船に乗って地球を飛び出すまでに文明も発展してきたわけで、これは人間という種族の特長として遺伝子に組み込まれているものなんだろうね。

 また、気持ちの得がお金の得と同等の価値を持つように、脳内では気持ちの損もお金の損と同等に処理されている。

 君だって大嫌いな奴にわざわざ親しく接したり、そいつが喜ぶような言葉を投げかけて幸せな気持ちにしてあげたいとは思わないよね。
 何も失うものなんてないし、何が減るわけでもないけど、「損」をした気持ちになるから。

 パワハラやセクハラが屈辱的なのも同じことだよね。大切な人にされたら嬉しいことでも、嫌いな人にされたらとても大きな損をしたように感じるから、必死になってそれを避けようとする。

 本当に損をしたくないんだ、この脳は。

 こういった脳の性質が作話と結び付き、愛の幻想は悪用される。

「こんなに愛しているのに、どうしてわかってくれないんだ!」と言って大切な人を殴るとき、それが自己愛だと自覚してしまえばただワガママを言って暴力をふるっている惨めな自分に会うことになるから、「損」だから、決してそうは考えない。

 逆に、命よりもお金よりも尊い愛を裏切られた隣れな被害者の立場に自らを置けば、やりたい放題、ありとあらゆる要求を押し通せる素敵な自分に会うことが出来るから、「得」だから、本気でそう思い込んでしまう。

 このような愛の幻想を悪用した忌々しき自己愛の暴走。

 実はこれ、愛に限ったことではない。

「先輩なんだから言うことを聞け」とか、「老人なんだから敬え」とか、上下関係やモラルなど、ありとあらゆる社会通念も全て残念な人たちによって悪用されている。

 この認識を深めていただきたく、次もまた○×問題形式で、いくつかの事例を見ていこう。