04 全ての愛は自己愛である

 これまで三回に渡りお伝えしてきた内容をまとめると、「愛は相手の事情などおかまいなしに勝手に自分の中だけに生じる、他者には見えないし伝わらないもの」だと言える。

 では、これってなんのためにあるのだろうか?

 ここまで読んでいただいてもまだ「愛する人のため」とか言いたくなる方もいるかもしれないので、同じ性質を持った、もっと次元の低い言葉で置き換えてみよう。

 たとえば「エッチな気持ち」という言葉で置き換えてみる。

「エッチな気持ちは相手の事情などおかまいなしに勝手に自分の中だけに生じる、他者には見えないし伝わらないもの」だ。

 こんな風に置き換えてみれば、もう分かるよね。

 愛はなんのためにあるのだろうか?

 そう、それは他の誰のためでもない、自分のためだ。

 自分を喜ばせるために、楽しませるために、自分を気持ち良くさせるためにこそ愛は生じるんだ。

 愛しい人の肩に顔を埋めて抱きしめられているとき、相手がどんな顔をしているかなんて関係なく、幸福感に満たされる。

 愛を表す言葉には「無償の愛」や「真実の愛」など様々な種類のものがあるけれど、愛は相手の事情などおかまいなしに勝手に自分の中だけに生じる、他者には見えないし伝わらないものなのだから、言うなればその全ても「自己愛」だと言える。

 全ての愛は自己愛だ。

 恋人同士における最上級の愛情表現とされるセックスだって、相手の身体に自分の性器を擦りつけて自分自身が気持ち良くなっているだけで、相手の身体の一部を使ってマスターベーションをしているようなものだ。

 一つになんてなれない。

 自分が感じ取れるのは自分の感覚だけでしかない。

 相手が何を思っているのか、どんな感覚を味わっているのか、こちらからは想像することしかできず、共感も一体感も全ては妄想に過ぎない。

 確たるものは、自分の感覚しかない。

 そんなものをなぜ人は渇望するのか。

 自分を気持ち良くさせるためだ。

 愛から幻想のベールを剥ぎ取れば、そこに鏡が一つあるだけだ。

 この認識を深めていただきたく、次からは○×問題形式でいろんなパターンを見ていこう。