03 愛は見えないし、伝わらないもの

 心理学の本などを読むと、「幼少期に親の愛情を受けて育たなかった子供は他者とのコミュニケーションが苦手になる」とか平気で書いてあるけど、ちょっと待った。

 親がどんなに強い愛情を持って子供に接していたとしても、「外に出て怪我をしないように10歳までベビーサークルから出さないようにしました」とかやっちゃったら、他者とのコミュニケーションが苦手な子供に成長することは想像に容易いはずだ。

 大切なのは抽象的な愛情などではなく、見本となる具体的なコミュニケーションだ。しっかりと目を見て笑顔を作り、優しい声で語り掛け、安全と安心を感じられるように抱きしめ、触れ合うことだ。

 この子が将来他者との関わり合いの中で苦労しないようにと願ってこのような接し方をしていれば、たとえそこに愛情がなくとも他者とのコミュニケーションが苦手な子供に育つことはないだろう。

 前述の「幼少期に親の愛情を受けて育たなかった子供が――」という一文における親の愛情というものも、まさにこういったコミュニケーションのことを言っているんだろうけど、いちいち細かいことを書くのが面倒くさいから、その総称として「愛情」と書いているんだろうね。

 しかし、こういった何気ない曖昧な使われ方が世の中に蔓延した結果、愛は過剰な幻想をまとい、万能なもののように扱われるようになってしまった。

 よくある歌の歌詞に出て来る「愛をください」とか、「愛して欲しい」とか、そういった他者に求めるときに使われる「愛」という言葉が意味するものも、結局のところ全てはコミュニケーションだ。

 愛は目に見えないし、他者には伝わらないものだから、愛を欲する彼らが相手からどれだけ心の中で愛されていたとしても、そこに何かしらのコミュニケーションがなければ、決して満足することはないだろう。

 夫婦間の付き合いにおいて、よく不倫に走った側の人間がのたまう「あなたに愛を感じなかった」とか、「あの人は私を愛してくれる」とかいうのも、要はコミュニケーションのことだ。

 心の中でどれだけ愛しいと思っていたとしても、コミュニケーションがなければ愛を感じられない。逆に、心の中に全く愛情がなかったとしても、それを感じさせないようなコミュニケーションが取れていれば『愛情を感じない』などと言われることはない。

 パパはママのことをとても愛しく思っているし、大切にしたいといつも思っているけど、ママはパパに対してそんな風に思っていないのかもしれない。
 だけど、そんなこと証明のしようもないことだからね。無理やり声に出して「愛している」と言ってもらったとしても、それが真実だとは限らない。

 愛は見えないし、伝わらないんだから、あってもなくても分からないものだ。

「実は冷たかった父親が息子のことを誰よりも愛していた」みたいな物語が世界中に腐るほど溢れていると思うけど、愛が目に見えて他者に伝わるものだったとしたら、世界中でこんな誤解が起きるはずがない。

 そもそも愛がもしも目に見えて、伝わってしまうものだったら、片思いなんて絶対に出来ないよね。

 悲しいことのようだけど、これも当たり前のこと。

 愛は目に見えないし、他者には伝わらない。

 そういうものなんだ。