13 チベット仏教を教わって価値観や考え方がガラリと変わった話(前編)

 Kと一緒に参拝した高野山は、真言宗の開祖「空海」が開創した山。
 沢山のお寺があり、宿坊があり、そこにある奥の院のさらに最奥にある「御廟(ごびょう)」という場所では、約1200年以上も前からそこで空海が修行し続けていると言われており、実際に毎日食事が運ばれている。
 そんな伝説も面白くて、参拝したあとで仏教って一体なんだろうと興味がわいた。
 SさんがKに語ったMちゃんとお婆さんの話を聞いて、ちょっと自分の中にあった死というもののイメージが崩れたことに不安を覚えたのもその理由の一つだ。
 人は死んだら、何も残らないものだとずっと思っていた。
 しかし、Sさんには亡くなった人やご先祖様の姿が見えることがあるというし、その一方で前世を感じることもあるという。
 これってどう考えても矛盾している。
 そのことをSさんに尋ねると、「僕にもわかりません」と言っていた。
「理由はわからないけど、どちらも見えてしまうから、見えたままをお伝えしているだけなんです」と。
 そして、「仏教に興味があるのならいい人がいますよ」と、Sさんの友人である「A先生」が開講している仏教のお勉強会を紹介された。
 パパは別に仏教の勉強をしたかったわけじゃないんだけど、これも何かの縁だろうと思い、一度顔を出してみることにした。
 仏教系と言えば◯◯会や◯◯会など、強引な勧誘で有名な巨大カルト団体があるから、Sさんから紹介されたところで高額のツボやお札を買うよう強要されたりしたら、Kへの楽しい土産話にもなるとも思っていた。
 教室の最寄り駅は、パパのマンションと職場のちょうど中間の駅。
 会場はA先生の仕事部屋があるマンションの一室。
 時間の十分前に到着すると、お勉強会の生徒さんたちだろう、五、六十代のおばさんが数名とおじさんが一名いて、あたたかく歓迎してくれた。
 みんなとても良い人そうだったけど、こんな人たちが「あの船に乗って人生が変わった!」、「あれに参加して良かった」と口々に言い合って、最後に「さぁみんなで出発しよう!」と勧誘してくる怪しげな自己啓発セミナーに参加して80万円のクルージングへの申し込みを強要されたこともあるので、信用はできない。
 表面上はニコニコしながらも猜疑心バリバリで緊張しながらA先生の登場を待った。

 時間になって現れたのは、タイやインドのお坊さんのような赤色の僧服を着た、とても身体の大きな男性だった。
 どこにも偉そうな感じがなく、とても謙虚で親しみやすい雰囲気。
 何より、そのお話しがとても面白く、パパは一発でファンになってしまった。
 世の中には一言で言い切れるようなことをまどろっこしい言い方で長時間掛けて説明する人や、支離滅裂なことを難しい表現を並べ立ててそれっぽく聞こえるように話す人など、話す内容や自身の存在の薄っぺらさを言葉を重ねることで飾ろうとする愚かな人々が(パパも含めて)沢山いるけど、A先生は全く違った。
 どんなに難しいこともそこらへんに落ちている石を指し示して話しているかのように、ユーモラスな語り口調で単純明快に教えてくれた。
 お釈迦様が生まれたインドにはお墓も卒塔婆もない。
 日本のお坊さんがやっているような戒名で一文字十万円とかの霊感商法もない。
 仏教でお坊さんが髪を伸ばさないのも布施を奨励していることも、全ては執着を捨て、悟りを目指すためのもの。
 ――お寺を見たり法事に参加したり、日本史の授業で触れても全く理解できなかった仏教というものが、とてもよく理解できた。
 こんなにものめり込んで授業を聞けたのも、生まれて初めてだったように思う。
「仏教の勉強会」だなんてきっと難解な話ばかりだろうなと思って身構えていた分だけ、新しい知識がスルスルと入ってくるのが楽しくて、気が付けば月に二回、欠かさずに参加する生徒の一員になっていた。
 この世にあるものはすべて移り変わっていくという「無常」という考え方や、「因果応報」、「十善戒」など、これまでの価値観が変わるような知識が沢山入ってきて、凝り固まったモノの味方や発想がガラリと変わり、日常的な行動と思考にも変化が起きてきた。

 ちなみに、A先生は真言宗や日蓮宗のお坊さんではなく、チベット仏教のお坊さん。
 大学を卒業後に一般企業に就職をしたものの、そこで自らの生き方に疑問を感じ、中国全土を旅して回ったというドラマティックな過去がある。
 旅の果てにチベット仏教を学びたいと決意し、その導師がいるインドの寺院で十年以上修行生活を送ってきたとのことだった。
 前述の通りA先生のお話は普遍的な仏教のお話が中心で、特にチベット仏教というカラーが強烈に出ているようなものではなかったけど、A先生の底の見えないミステリアスな雰囲気がカッコよくて、少しでも近づきたいと思って、チベット仏教について自分なりに調べるようになった。