08「適材適所」

 海の魚は川の中では生きられない。
 これは海の魚のせいだろうか。
 もっと頑張れば、もっと真剣に取り組めば、川の中で生きられるようになるのだろうか?
 そんなことないよね。
 塩分濃度の違いがあるから、海の魚にどれほどの意欲があったとしても川の中で生きることは不可能だ。
 それは海の魚のせいじゃない。
 みんな同じような形をしているから僕らは『魚』と一言でいってしまっているけれど、2019年現在で分かっているだけでも魚って2万5千種類以上いるんだってね。
 パパは人間も魚と同じで、似ているように見えて実は違う種類がいっぱいいるんだと思っている。
 だってパパの時代の有名人で「ボブ・サップ」という人がいたけど、あの人とパパが横に並んでも同じ人間だとは絶対に思えないもの。
 肌の色が違う、喋る言葉が違う等々、生息地によっても年代によっても、同じ人間でもその特徴は全く違う。
 東京でカッコいいと思われる服装が大阪ではカッコ悪かったり、横浜で優しいと思われる態度が福岡では情けなく見えたりする。
 また、同地域の同世代の同年代であったとしても、頭を使うことが得意な人、身体を動かすことが得意な人、夜行性の人等々、多種多様な人間が存在している。
 人間は一種類じゃない。
 それをみんな同じだと思ってしまうことから、僕たちはたくさんの勘違いを生み出している。
 海の魚が川で生きられなくて何が悪い。
 自分には自分の個性があり、他人には他人の個性がある。
 一流の野球選手だって、将棋が強いとは限らない。
 天才といわれる科学者だって、ボクシングのリングに上がれば秒殺される。
 だからさ、「罪を憎んで人を憎まず、だから自分も憎まず」でもいったことだけど、君がいろんなことを経験してきた中で苦手なこともたくさんあったと思うけど、そんなことで自分をできない人間だとかダメな人間だとか思ったりしないでね。
 それは自分に向いていなかったことを身を持って知った、大切な経験をしただけのことだから。
 パパも学生時代、自分に向いている仕事かどうかなんて分からずに飲食店でアルバイトをしたことがあったよ。
 ファミレスを二回、ラーメン屋を一回やったけど、全く自分に向いていなかった。
 全然楽しくないから半年も経たずに辞めていたんだけど、辞めようとするとき、必ず一部の大人たちからこんなことをいわれた。
『ここで通用しなかったらどこへ行っても通用しないよ』
 こんな簡単な職場でも働けない無能なお前は、どこへ行っても何をやっても成功しないというありがたい予言だ。
 当時のパパは『そんなことはない』と思って聞き流していたけど、やっぱりそんなことは全くなかった。
 パパは飲食店のアルバイトには向いていなかったけど、ホームページを作るお仕事は十年以上続いている。
 適材適所という言葉がある。
 一つの場所で上手くいかなくても、また別の場所では上手くいくかもしれない。
 最初に行った場所はとてもつらかったかもしれないけど、そこで苦しんだことは悪いカルマの清算になったし、次の場所であの素晴らしい人に巡り会うために必要だったのかもしれない。
 そんなふうに思ってさ、一つの場所で上手くいかなくても、自分の可能性を否定しないことだよ。
 深海でもかまわない。
 自分が一番泳ぎやすい場所を見つければいい。
 環境を自主的に変化させることができるのは、人類の特権なのだから。

自分基準で考えない

 僕たちはなんでも自分基準で考える節がある。
 たとえば自分より外見が美しいと思う人を見たとき、羨ましく思ってしまう。
 自分より何かの能力が劣る人を見ると、見下してしまう。
 これも、人間は一種類しかいないという思い込みから生じている勘違いだよね。
 みんな違っていてもいいはずなのに、意識していないとすぐに自分を基準にして他者を裁いてしまう。
 だからさ、自分と他者が違うと思うことができる、考えることができる材料をいっぱい持っておこう。
 たとえば血液型分類ってあるよね。
 A型は真面目で神経質、O型はおおらかで無責任、B型はマイペースで天才肌、AB型は夢想家で変わり者等々、血液型で性格を分類するアレだ。
『70億人以上いる世界中の人間がたった4つのパターンに決められるわけがない! こんな幼稚なデマを大人になっても信じている大馬鹿野郎のことを俺は心底軽蔑(けいべつ)する!!』と、かつてB型の友人が熱く語っていたのを思いだすけど、その真偽はどうであれパパはこういうのが結構好きだ。
 これをネタに差別をしたりイジメをしたりするのはそれこそ馬鹿がすることだと思うけど、自分とは違う性質を持った別の種類の人間がたくさんいることを意識し、多様性を認めることは悪いことじゃない。
 似たような話で、チベット医学の話も実に面白いよ。
 チベット医学では人間の身体の中にはルン、ティーパ、ベーゲンという三つの体液が流れていると考えられていて、これらの割合によってその人のだいたいの性格分類ができるといわれている。
 ルンは風の属性で、活発でよく笑いよく泣く、社交的な明るいタイプ。刺激を求めて落ち着きがなく、気分の浮き沈みが激しい。
 ティーパは火の属性で、プライドが高くて怒りっぽい。目は細めで、肌は浅黒くガッシリとした感じの人が多い。甘いもの、冷たいものが好き。
 べーゲンは水の属性で、温厚でおっとりとしている。怒りを表明するのが余り得意じゃない。目は大きく肌の白い、ぽっちゃりとした人が多い。酸っぱいものや辛いものが得意。
 基本的にこの3パターンから類推して『あの人はベーゲンだ』とか『ティーパだ』とかいったり、混合タイプの『ルンティーパだ』、『ルンベーゲンだ』とかいったりする。
 振り返って見ればパパの苦手なタイプはルンの強めな人ばかりで、ママを筆頭に大好きなのはべーゲンタイプばかりだったな……とか、考えてみると結構面白い。
 また、パパはティーパだから、一人でリラックスしたいときには海の見える場所に行って海風に長時間当たっているとベーゲンの要素が入って凄く心地良くなるんだけど、ママがそれをやるとべーゲンが強くなり過ぎて気分が落ち込んでしまう。
 さらにパパは夏に向かってやる気が上がっていくけど、ママは梅雨の時期はカフェインなどを入れないと気分が沈み過ぎてつらい。
 同じ家に住んで同じ未来を見ていると思っていても、体質は全然違うし、物事の受け止め方も表現の仕方も全然違う。
 パパとママがウルトラスーパー仲良しでいられるのは、こういうお互いの差異を認め合っていられることが本当に大きいと思う。
 逆に、同世代のパパやママがSNS上でパートナーの愚痴を吐きまくっているのを見ていると、自分が当然できることをできていないとか、配慮がないとか、そういったところで怒っている人がとても多い気がする。
 靴下を裏返しにしてくれないとか、オチのない話を延々とされてムカつくとか、何事も自分基準で考えるとストレスは尽きないものだ。
『あなたも同じ親でしょう!』みたいな詰め方で旦那にいってやったとか武勇伝のように語っているママさんとか見ると、可哀想だなって思う。
 べーゲンがルンのリズムで動けないのは、愛がないからでも思いやりがないからでもないんだ。
 滅多に怒らないから安心しているんだろうけど、ベーゲンがキレると本当に恐いよ。
 他人と自分は一緒じゃない。
 そういうところを根本から期待しなくなると、他人に対しての怒りや嫉妬心も減り、ちょっと肩の力が抜けて人生が楽になるんだ。