05「十善戒」

「罪を憎んで人を憎まず、だから自分も憎まず」とお伝えしたけれど、僕たちがする「行い」については、当然善も悪もしっかりあることを勘違いしてはいけない。
 カルマの法則的にもそれが未来を決定付けるものになるのだから、悪いカルマを積まず、善いカルマを積むように心掛けていこう。
 江戸時代の後期、慈雲(じうん)というお坊さんがその明確な指針を「十善戒」という形で示してくれた。
 分かりやすく簡単なものなので、ぜひこの十項目をできる限りでいいから守ってみて欲しい。
 それは必ず、君を幸せにするから。

不殺生(ふせっしょう)

 故意に生き物を殺さないこと。
 前世も来世もあるこの世界において、誰にとっても生きている時間というものは過去の清算にも未来の積み立てにもなる大切な時間だ。
 そんな貴重なものをこちらの都合で勝手に強制終了させてしまうなんて、とんでもないこと。
 自分の来世にもガッツリと響いてくることなので、やらないように気をつけよう。
 どんなに憎い相手がいたとしても、そいつのために自分の手を、未来を汚すのはもったいないからね。
 また、不殺生の対象は人間だけじゃなく、動物や虫なども含まれる。
 人間や大きい動物は日本に住んでいる限り余程のことがないとまぁなんとかなりそうだけど、虫とか微生物のレベルになってくると難しいよね。
 ただ歩くだけでも踏み潰してしまうことは避けられないし、飲食店や清掃業など、仕事上やむを得ず殺生しなければならない人たちもたくさんいる。
 だけど、大丈夫。
 カルマはその「意図」によって善いカルマか悪いカルマか大きく変わるものなので、偶然や業務上やむを得ず殺してしまったときと計画殺人では積み上げられるものが全然違う。
 だから殺すことが避けられないような状況にあったとしても、せめて悪い意図は持たないようにしよう。
 パパはA先生に「不殺生」のお話を初めて聞いた当時、お坊さんって凄いな、面白いなと思いつつも、自分が虫を殺さないで生活するなんて無理だろうと思っていたよ。
 家の中に現れた蚊やハエやゴキブリを、当たり前のように殺していたからね。
 だけど意識してみると意外とできるもので、これを書いている今現在、パパはもう十年以上意図的に虫も殺したことがない。
 意識してみて、できる限り命を奪わないよう心かけてみてね。

不偸盗(ふちゅうとう)

 盗まないということ。
 僕らが何かを手に入れるためには、それ相応の対価を支払う必要がある。
 電化製品を買うためにお金を払うのも、物々交換で野菜を手に入れるのも基本的には同じことで、僕たちはお互いに利益の出るところで取引を成立させている。
 そういったプロセスを踏まず、一方的に自分だけが得をしようとすることは許されない。
 物理的に盗むことだけじゃなく、無駄話で他人の時間を奪ったりするのも同じことだよ。
 自分が気持ち良くなった分だけ相手は気持ちが良くない思いをすることになるから、他人のものは盗まないようにしよう。
 盗んで一時的な喜びを得ても因果応報、それ相応の報いが自分に降りかかってくるだけのことだからね。

不邪淫(ふじゃいん) 

 不倫など、大切なパートナーを裏切るような関係は持たないこと。
 パパとママがウルトラスーパー仲良しでいられる理由の一つには、この十善戒をお互いに知っているという安心感があると思う。
 低俗な人たちは大切なパートナーに対して『いつまでも異性として意識されていたい』とか、『油断をさせたらいけない』とか都合のいい戯れ言を抜かして浮気をちらつかせるような態度を取ったり、実際に別に恋人を作ったりするらしいんだけど、実に汚らしいね。
 一番身近な人にそんな脅迫めいたことをやっていて、安心感や信頼感など生じるわけがない。
 どんなに好きな相手でも興奮し続けていられるのは四年が限界。
 これはあの爆発的な情熱の正体がPEA(フェニルニチルアミン)という脳内物質によるものであり、それは同一の対象に対しては時間とともに必ず減衰していくものなので、どんなに頑張っても避けようがないことなんだ。
 情熱が落ち着いてきてしまうと、アニマルで無知な人たちは再びPEAの放出を求めて、『きっとこの人は運命の相手ではなかったんだ!』とか思い込み、次の相手を探し始める。
 いつだって浮気をする方は気持ちが良いものだろうけど、される方はたまったものじゃない。
「五感に執着が宿るから」という説を聞いたことがあるけど、特に肉体関係のあるパートナーから裏切られるショックというのは通常の人間関係のそれとはワケが違う。
 自分自身の全存在を否定されたかのような深い絶望にたたき落とされてしまう。
 他者にそんな思いをさせてしまえば、当然それは自分に返ってくるからね。
 絶対にやめよう。
 配偶者も恋人もいないなら、いろいろと手を出しても良いと思う。
 だけど特定のパートナーがいるなら、絶対にやめておこう。
 遊びたいなら、ちゃんと別れてからすればいいだけだからね。

不妄語(ふもうご)

 嘘をつかないということ。
 嘘をつかないで生きるのはこの時代、この世界、本当に難しいものだと思う。
 実際、日本では嘘をつかないと角が立つことも多いからね。
 行きたくもない飲み会に誘われたとき、『行きたくないです』といえば人間関係に支障をきたすこともあるから、そこは『予定があって行けません』といっておくのが思いやりだったりもする。
 嘘をつかないということを完全に守ることは大変難しいと思うけど、せめて他人をおとしめたり、傷つけたりするための嘘はつかないようにしておこう。
 大切なのは意図だからね。
 気持ち良くしてあげようという意図で生まれる方便は現実と乖離(かいり)していてもそこまで悪いことではないと思うけど、明確な悪意を持ってつく嘘はやめておこう。

不綺語(ふきご)

 中身のない綺麗な言葉を使わないということ。
 ちょっとこれも前述の不妄語とかぶることになるけど、やっぱりなかなか守るのは難しいことだよね。
 たとえば仕事上仕方なく上司と出張しなくてはならなくなったとき、突然その上司が『古着屋で服を見たい』とかいい出したとしよう。
 上司としては普段とは違った自分の一面を見せて『素敵』とか何か気持ちの良い言葉がもらえると思って甘えてきているんだろうけど、そもそも仕事上仕方なく部下の役をやって差し上げているだけでも相当にお支払いしているという関係性でしかなく、尊敬をすることも親しみを持つことすらもさせてくれないカスがボロを着ている姿を見ても時間の無駄としか思えないだなんていえるわけがないよね。
『似合ってますね』とか『若く見えますね』とかいうしかないじゃん。
 これも不妄語同様、やはり意図に気をつけて使っていきたいね。
 まるで相手を馬鹿にするような全く心のこもっていないお世辞をいう人がいるけど、ああいうのはやめよう。綺麗な言葉に変換してるだけで悪意丸出しで、喧嘩を売っているに等しい態度だ。
 また、おだてて調子に乗らせて、最終的には梯子(はしご)を外して墜落させようとするような褒め殺しも絶対にやめよう。
 小学生の頃、女子がやっているのを何度か見た。
 いきなりイジメていた子をみんなで可愛いとかいってもてはやして、次の日は全員で無視をする遊びとか。
 あの女子たちもみんなその後の人生か来世でそれ相応の報いを受けるんだろうなと思うと、感慨深いものがある。
 他人のためにも自分のためにも、こういった意地悪なお世辞をいうのはやめておこう。

不悪口(ふあっく)

 乱暴な言葉を使わないということ。
 なるべく楽しんでもらいたいと思って乱暴な言葉を文章で頑張って表現しているけれど、伝わっているかな?
 繰り返すけど、大切なのは意図だからね。
 別にパパは悪意を持って書いているのではなく、君がスカッとするような文章を書きたいという思いやりの気持ちから「カスがボロを着ている」とか書いているわけで――ごめん、恩着せがましいいい訳だね。
 弁解のしようがない。
 不悪口もなるべく使わないよう心掛けよう。

不両舌(ふりょうぜつ)

 他人を仲違(たが)いさせるようなことをいってはいけないということ。
 A先生が教えてくださったことには、『彼が君の悪口をいっていたよ』と告げ口をするとか、そういった行為が最も悪いということだった。
 いるよね、こういう人。
『大塚さんがあなたのことを最低だっていってたよ』とかいってくる人。たとえば鈴木さん。
 こういうとき、悪口をいっていたらしい大塚さんよりも、鈴木さんの方が許せないよね。
 鈴木さんが何もいわなければこちらは何も知らずに大塚さんと接していられたのに、心地良い草原にわざわざ火種を投げ込んできやがった。
 そもそも、大塚さんだって相手が鈴木さんだからいったことで、それがこっちに伝えられると思っていたらいわなかったことだろう。
 鈴木さんは大塚さんの言葉を借りる形で自分は傷つくことなく、こちらを傷つけようとしてきている。
 卑怯だし、明確な悪意を感じるし、大塚さんも裏切っているし、とても罪深い態度だ。
 こんなこと、君はしないでね。
 その場にいない人の悪口を耳にしても、告げ口をしたりしない。
 人と人とがいがみ合う構図を生み出して、楽しもうとしない。
 これは守ろうと思えば簡単に守れることだから、絶対にやめておこう。

不慳貪(ふけんどん) 

 激しい欲を持たないということ。
 人間は欲深い生き物だから、もっともっと気持ち良くして欲しいと要求しまくる生き物だけど、度が過ぎた要求には誰も答えてはくれない。
 勝手に『あなたのためを思って一生懸命選んだプレゼントなのよ』とかいって安っぽいぬいぐるみを渡してきたと思ったら、『私の誕生日には指輪がいいな』とか抜かしてきて、確認してみると6桁いってたりすると流石に寝言は寝ていえって思うじゃん?
 そのおめでたい思考が不愉快なんだよ。
 拒絶されても『そんなつもりじゃなかった』とかいえば済むと思っててさ、心の中が見えないと思っても丸見えだからね?
 指輪を買わないでいると『安いものでも良かった、お金じゃなくて気持ちの問題だった』とかいいだして、なんかこっちが悪いみたいな感じに持ってくるじゃん? 
 けどオモチャの指輪をあげたらブチ切れるんでしょ? 
 分かってるし。
 全部お見通しだし。

不瞋恚(ふしんに) 

 激しい怒りを持たないということ。
 これはこのあとに出てくる「怒りへの対処方法」に詳しく書いたので、そちらをぜひご参照いただきたい。
 まぁ、僕たちは怒ってしまうよね。
 怒らなくても淡々と対処をすれば済むことなのに、必要ないのに怒ってしまう。
 ただ、自分をダメだと思っちゃダメだからさ。
 怒る自分も仕方ないし、可愛いもんだと思いつつ、怒りからは一生懸命逃げていこう。

不邪見(ふじゃけん)

 間違った見解を持たないということ。
 間違った見解とは、それこそ『無常はない』とか、『因果応報はない』とか、そういった仏教的な考え方を否定しちゃうこと。
 パパとしては紀元前から残っているものということだけで、単純に尊重したいと思っちゃう。
 何十億人という先人たちが悠久のときを超えて大切に語り継いできたものを、その何分の一の年数も生きていないパパの浅学な頭で否定するのはあまりにも愚かなことだと思うからね(仏教に妙な枝葉をつけたオモシロ新興宗教のことは全否定するけど)。
 とりあえず、この文章群の中でパパが紹介するような古典的な仏教のお話は、君に役立つこと、信じられることだけでいいから信じてみてね。