04「罪を憎んで人を憎まず、だから自分も憎まず」

 誰かに不愉快な思いをさせられると、僕たちはその人自身のことを憎んでしまうけど、ちょっと待った。
 本当に悪いのは、その人自身だろうか?
 たとえば大塚さんという人が陰で君の悪口を尋常じゃないほどいっていたことが発覚したとする。
 君は大塚さんのことが大嫌いになり、憎くて憎くてたまらなくなると思うけど、悪口をいっていたと知るまではなんとも思っていなかったのだから、憎むべきは大塚さん自身ではなく、その悪口のはずだ。
 では、大塚さんが悪口をいうに至った原因とはなんだったのだろうか。
 一つは、君のいないところで大塚さんと会話をしていたあの人だよね。
 あの人がいたから大塚さんも君の悪口をいったのだと思えば、あの人にも責任の一端があるといえる。
 また、テレビやネットのニュースでは凶悪事件が起きると必ず犯人の家庭環境にも問題があった、犯人の両親にも責任があったと報じられるものだけど、このように考えてみれば大塚さんの両親にも責任の一端があるといえるよね。
 さらに、両親の責任を追及するのであればその両親の両親の責任も追及するべきだよね。大塚さんのおじいちゃん、おばあちゃん、ひいおじいちゃん、ひいおばぁちゃん……そんなふうにさかのぼっていったら、聖書のアダムとイブや日本神話のイザナギ、イザナミ、ミトコンドリア・イブといったレジェンドの方々にも責任の一端があるといえる。
 実際のところ、江戸時代のトメ吉があのかんざしの少女に恋をしていなければ、ペリーが来航しなければ大塚さんは生まれていなかったわけだしね。
 あと、大塚さんがこれまでに接してきた友達や教師の影響も当然あるね。本やアニメやゲームだってそうだ。育ってきた地域や学校、時代にも責任の一端がある。
 さらにカルマの法則から考えると、君に悪口をいわれるカルマがなければ、君が悪口をいわれることはなかった。
 独特ないい方になるけれど、たとえば銃の乱射事件が起きたときなんかに、死んでしまう人と死なない人が出てくるよね。あのような事象をカルマの法則的にひも解くと、死んでしまった人は「殺されるカルマを持っていた」と解釈するんだ。
 現実的に考えても、君が大塚さんに悪く思われていなければ悪口はいわれていないだろうし、そもそも君が大塚さんと知り合いじゃなければそんな不愉快な思いをすることもなかったのだから、君にも責任の一端があるといえる。
 そんなふうに考えていくと、大塚さんが悪口をいった原因なんて一つじゃなくて、これだと特定できることなんてないよね。
 悪口という行い自体は悪いことだけど、その行いに大塚さんを導いた要因は果てしなく、誰のせいといえることでもない。
 僕たちはどんなことでもついついその行いではなく、その存在に怒りを向けてしまうものだけど、大塚さんだって関わる人全てに悪口をいっているわけじゃなく、大塚さんのことを親友だと思っている人もいれば、真面目で優しい、素敵な人だと思っている人もいるかもしれない。
 僕たちは接する人の一面しか見えていないから、君との関係においては最低な人に見えたとしても、大塚さん自身が悪い存在だとは決していい切れない。
 だから、悪口という行いに大塚さんが至ってしまった、その悲劇を憎んだとしても、大塚さん自身のことは憎まないようにしよう。
 傷つけられた分だけ傷つけ返したいと思うだろうけど、大丈夫、君がやり返さなくても必ず大塚さん自身にその報いは訪れるから。わざわざ君が敵意や悪意に飲まれてみじめな時間を過ごしたり、悪いカルマを積む必要なんてないんだよ。
 君は怒りに我を忘れて自らの人生を棒に振るような、つまらない生き方をしてはいけない。
 泣き寝入りをする弱い人間になれといっているんじゃないよ。
 逆に強く、ふてぶてしく、悪いカルマを積まずに幸せな未来を求めて欲しいんだ。
 ちなみに、パパが誰かに殺されたとしても復讐とか絶対にしなくていいからね。
 パパが殺されるカルマを持っていただけの話で、君には無関係のことだから。
 誰のせいでもないんだから、罪を憎んで人を憎まずだ。
 犯人を恨むのも時間の無駄。
 君は君の人生に集中してね。

だから自分も憎まず

 罪を憎んで人を憎まず――それは自分に対しても同じだ。
 自分の犯した罪を憎んでも、自分自身を決して憎んではいけない。
 過去、君のした行いに悪いことやダメなことがあったとしても、君自身は決して悪い存在ではなく、ダメな存在でもないんだ。
 誰にも君自身のことを悪くいう権利はないし、そんな言葉に耳を傾けてやる筋合いもない。
 前述の恩着せがましい人たちと同様に、一方的に言葉の暴力を繰り返されたり、粘着質な人にダメ出しを受け続けたりすると、真面目で素直な人ほど彼らに迷惑を掛けてしまったと真剣に受け止めてしまい、自分がとても悪い人間のように、ダメな人間のように思い込んでしまう。
 パパも社会人一年生のとき、一挙手一投足を監視して文句をつけてくる上司に当たってしまい、毎日毎日ダメ出しを受け続けてとても辛かった。仕事の仕方、しゃべり方、スーツの着こなし、履いている靴等々、何もかもを否定され続けて、パパは本当に自分が何もできない、存在しているだけで他人に不愉快な思いをさせるダメな人間だと思い込み、鬱になってしまった。
 今にして思えば上司の立場を利用して寂しい人が気持ち良さを求めてパパに甘えていただけだったんだけど、初めての上司だったから信じてしまった。
 その上司はパパが休職したとき、パパがいかに不真面目でやる気のない新人だったかと保身のための嘘を周囲に喧伝していたことがあとで分かり、心底ガッカリしたよ。
 彼はパパに指摘したことの改善なんて全く求めておらず、ただパパをイジメて気持ち良くなりたかっただけなのに、健気で純粋で美しいパパはそれに一生懸命応えようとして、心も身体もすり減らして本当に無駄な時間を過ごしてしまった。
 君がもしもこういう人物に巡り会ってしまったとしても、決して彼らの言葉に飲まれちゃいけないよ。
 彼らは彼らの気持ち良さのために絡んでくるだけなので、彼らに何をいわれたとしても君自身のことを悪いとかダメだとか思う必要は全くない。
 たとえばちょっと遅刻したぐらいで人格否定まで混ぜてガミガミとお説教してくる人がいるけど、聞かなくていい。
『最低限のこともできない本当にダメなヤツだ!』、『待っている人の気持ちを考えられないのか!』とか、そんなふうにさも大問題のように怒鳴っている人を学校や職場でたくさん見てきたけど、そういう人たちって絶対に自分より偉い人が遅刻してきたときには何もいわないんだよね。
 相手が自分より下の立場の人間だとしっかりと計算をし、自尊心や優越感を満たしたい、気持ち良くなりたいと思って甘えているだけなんだ。
 普段は物静かで穏やかな人なのに、恋人や家族の前だけではこういった態度を取ってしまう人も世の中には結構いる。
『お前は間違っている!』とか『あなたのいってることはおかしい!』とか、他人には何もいえないくせに、一番近くにいる大切な人には暴力性も含めて許容してもらおうと甘えてくる。
 いってる方は安全な相手に対して気持ち良くストレス発散ができるけど、いわれる方はたまったものじゃない。
 こんなのも何度も何度もいわれ続けてしまうと、自尊心を削られて本当にそうなのかと信じ込まされてしまいかねない。
 そんなこと、絶対にないからね。
 向こうは気持ち良さを求めているだけだから、素直に受け取っちゃいけないよ。
 誰になんといわれようが、自分自身を悪いとかダメだとか、絶対に思ってはいけない。
 この感覚は徹底しよう。
 たとえば君が飾ってあった壺を割ってしまったとしても、壺を割ったという行い自体は悪いけど、君自身は悪くない。壺をそんなところに置いておくヤツも悪いし、簡単に割れる壺も悪い。
「罪を憎んで人を憎まず」と他人のことを悪く思わないようにしてやるのだから、自分自身のことも悪く思わなくていい。
 たとえ誰かに面と向かって『大嫌いだ』といわれたって、相手は気持ち良さを求めていっているだけなんだからね。
 ――こんなふうに考えられると、ちょっと打たれ強くなれるよ。
 他者の言葉に操られて、主体性を奪われることも少なくなる。
 傷つけ合うのではなく、憎しみ合うのではなく、許し合いながら生きていこう。
 そっちの方が、絶対に気持ちが良いんだからね。