03「人間の行動原理」

 人間は気持ち良さを求めて行動している。
 そこに気持ち良さがあるから、人間は行動することができる。
 ちょっと考えて見て欲しい。
 食事をすること、排泄(はいせつ)をすること、眠ること――毎日欠かさずに行われている日常的な動作も、全て気持ち良さを伴うことばかりのはずだ。
 君がパパのこの文章群を読める頃には性的な話題も受け入れられていると思うので、勇気を出していうけど、あの、その、セッ、セックスなんて行為もその最もたるものだよね。セックスが気持ち良くないものだったとしたら、誰も子供を作らずに人類は滅亡していたことだろう。
 スポーツをすることも、仕事をすることも、山に登りたくなるのもみな同じだ。肉体的なエクスタシーだけじゃなく、名誉欲が満たされたときの快感や金銭的な報酬を得る喜び、スリルを味わう感覚も、いうなれば「気持ちの良いもの」だからね。
 また、人助けをして褒められるとお金がもらえなくても気持ちが良いものだよね。
 これって実際、褒められたときとお金をもらうとき、どちらも脳内では同じ「線条体」という部位が反応していて、脳内では同じものとして処理されているんだ。
 だから「得」や「利益」といい換えてもいいね。
 人間は得を求めて、利益を求めて行動している。
 それが人間の行動原理なんだ。

 こんな考え方を身に付けると、君にどんな幸せが訪れるというのか。
 お品書きは次の通りだ。

 1 恩着せがましい人に支配されない
 2 主体性を持てる

 さぁ、見ていこう。

1 恩着せがましい人に支配されない

 恩着せがましい人っているよね。
「手伝ってあげた」、「買ってあげた」と何かにつけて恩に着せて見返りを要求してくる人。
 真面目な人や素直な人、優しい人や劣等感の強い人は、特に恩着せがましい人の餌食になりやすい。
「あなたのためを思っていっているんだ」と繰り返しいわれ続けてしまうと、あたかも自分自身が悪かったかのように思い込んでしまい、主体性を奪われて支配されてしまう。
 日本が誇るロックバンドX JAPANのTOSHILさんも、まさにこの手法でマインドコントロールされてしまい、15億円以上ものお金をズルい人たちに奪われてしまった。
 人間の行動原理が気持ち良さにあると思えれば、恩着せがましい人たちに支配されることはなくなるよ。
 だって、「あなたのためを思って」なんていってくる人たちも、みんなその人たち自身の気持ち良さのためにいっているんだと、冷静に見えるようになってくるからね。
 たとえば君が何か危ないことに手を出そうとしているとき、それを止めてくれる「小林さん」という人がいたとしよう。
『そんなことは絶対にやめた方がいい! 君のためを思っていっているんだ!』
 真剣な顔で真っすぐに君の目を見つめていっているけど、こんなときも小林さんは小林さん自身の気持ち良さのために君を止めようとしている。
 心配もしてくれているんだよ。
 だけど、君が危ないことに手を出して傷つくところを見たくないから、信条的に止めずにはいられないから、心配を募らせたくないから、いい人だと思われたいから、小林さんは小林さん自身の気持ち良さを求めて君を止めようとしている。
 君のことだけを本気で思ってくれているのなら、何もいわずに責任だけを取ってくれるというやり方もあると思うんだけど、それは気持ち良くないからしてくれない。
『そんなことをしても君のためにならない』とかなんとかいって、自分にとって都合の良い、気持ちの良いことだけをしようとする。
 誰だって、みんなそうだよね。
 君自身の行動を振り返って見ても、全部自分自身の気持ち良さを求めてやってきたことばかりのはずだ。
 仲良くなりたいから声をかけた。
 手をつなぎたくて手を伸ばした。
 キスがしたくて目を閉じた。
 全部自分のためだ。
 そもそも行動原理が気持ち良さにある僕たち人間は、自分自身が気持ち良いと感じることしかしないし、できない。
 どんなに好きな人にお願いされたって、足を切り落として差し出すことはできないよね。
 それをできる人がいたとしたら、最強クラスのマゾヒストか、四肢切断願望のある人たちか、好きな人の要求を拒絶することの方が自らの足を切ることよりもつらいと感じる人たちだけだ。
 いずれにしろ、そこに気持ち良さがあるから、得や利益があるからできることに変わりはない。
 僕たちはいつだって無意識に損得勘定をしていて、気持ち良さよりも損失の方が大き過ぎることはしないようにできている。
 だから恋人にプレゼントを贈るのも、「恋人の喜ぶ顔が見たい」、「恋人に素敵な人と思われたい」、「自分のときには同等かそれ以上のお返しをもらいたい」など、自分自身の気持ち良さを求めるからできることで、何も気持ち良さが見込めなければ贈ることはできない。
 ここを勘違いしてはいけないよ。
 君にも恋人ができたら、「自分には全く興味のないアーティストのコンサートに付き合ってあげた」なんて日がくるかもしれないけど、『優しい自分は恋人のためだけを思って健気にもたくさんの時間を使ってあげた』とか、恩着せがましく思ってはいけない。
 前述の通り、人間は気持ち良さの見込めないことはできないんだからね。
「暇だった」、「一緒に遊びたかった」、「一つ貸しを作って次回は自分の予定に付き合ってもらおうと思った」など、自分にとって何かしらの気持ち良さが見込めるから、君は自分の足でコンサートに行ったんだ。
 どんなことだって、本当にそうだよ。
 君にランチをおごってくれた先輩も、悩みを聞いてくれたおばさんも、困っているところを助けてくれたおじさんも、みんなそれぞれがそれぞれ自身の気持ち良さのためにやったことだ。
 人間そんなものだと思えれば、恩着せがましい態度をしてくる人たちに支配されることはないよね。
 どれだけ一生懸命眉間に皺(しわ)を寄せ、「あなたのためを思っていっているのに!」なんて怒鳴られたとしても、仮面の下で恍惚(こうこつ)に浸っている素顔が見えるから。
 また、これが理解できるなら、君自身が他人に対して取ってしまう恩着せがましい態度も、ちょっと抑えることができるよね。
 何をプレゼントしても、どこへ連れて行っても、100パーセント相手のためを思っての行動なんて僕たちにはできないということを自覚し、見返りを期待する気持ちを少し緩めてあげよう。
 恩着せがましい人の人生は悲惨だよ。
 君も見たことがあるだろう。頼まれてもいないのに余計なお節介をして見返りを期待し、感謝の一つもないのかと怒っている人たちの姿を。
 そんな人と一緒にいても気持ち良くないからね。当然、誰からも必要とされずに孤立することになる。
 僕たちの行動は全て気持ち良さを求めて行われている。必ず自分にとって得がある、利益があることだけをしている――そんなふうに思うだけで他人の恩着せがましい態度に支配されることはなくなるし、自分自身の恩着せがましい態度も抑制することができる。
 君が傷つかないためにも、誰かを傷つけないためにも、ぜひこの考え方を取り入れてみてくれ。

2 主体性が持てる

 この文章を書いているまさに今、君が泣き出したのでパパは君にミルクをあげてオムツを替えた。
 君は今、一人では何もできないのでママとパパで協力して君のお世話をしている。
 恩を着せるつもりはないし、逆に「お世話をさせていただいている」なんて媚(こ)びへつらう気もない。
 これはパパが、パパ自身の気持ち良さのためにやっていることだ。
 ミルクを与えずに泣かせてしまったり、オムツを替えずにお尻をかぶれさせてしまったら、パパ自身が気持ち良くないからね。
 君に快適な環境でコロコロと笑っていて欲しい。
 もちろんママからのプレッシャーや義務感も責任感もたくさんあるけれど、パパにはそれを投げ出す自由だってある。
 だけど、あえてパパはパパ自身の気持ち良さのために君のお世話をしているんだ。
 ――こんなふうに考えられるようになると、人生は少し楽に、自由になるよ。
 やりたくもない仕事をしなくてはいけないときでも、強制的にやらされているなんて思っていたら前向きに取り組むことはできない。自分にはちゃんとその仕事を放棄し、逃げ出す自由もある――だけど、それよりも得だから、利益があるから、気持ちが良いからこの仕事をしているんだと思うようにしよう。
 人間は気持ち良さを求めて行動していると思えればこそ、自分自身のありとあらゆる行動にも主体性が持てるんだ。
『私は学生のときにイジメられていたから他人が恐くなって引きこもりになった』とかいう人がいるけど、引きこもりも自分の意志でやっているんだからね。外に出るよりは傷つけられることも少ないから、気持ち良いからやっている。
 みんながみんなやりたいことができる世界ではないのだから、引きこもりという生活スタイルも悪いことではないと思うけど、これを他人にやられたことにしてしまったら、自分の意志だけでは外に出られなくなってしまう。
 それはとても、不自由なことだ。
『自分は自分自身を変える力を持っている。今現在自宅に引きこもっているのも、自分の意志で、自分自身の気持ち良さを求めてやっていることだ』
 ――このように考えることができれば、いつの日か外の世界に気持ち良さを求めたとき、自分の意志で出て行ける。
 なんだってそうだよ。
 主体的に、自分の意志でやっていることにしてしまおう。

過去の解釈を変える
 
 パパ自身も学校の先生やクラスメイトにイジメられたことがある。
 思いだすと、特に体育の時間は苦痛でしかなかったな。
 どんなに頑張ってもボールが上手く投げられないし、泳げない……その頃は「発達性協調性運動障害」なんて言葉がなかったから、先生からも周囲からもただ能力の低いダメなヤツのように扱われて本当に苦しかった。
 それでもパパは体育の時間に参加していた。
 なんでそうしていたのかというと、パパは体育の授業なんて受けたくないと騒ぎ立てたり、一人で学校を抜け出して家に帰ることもできたけど、黙って授業を受けていた方が気持ちが良いからそうしていたんだ。
 平気で叩いてくる先生やクラスメイトからリンチに遭うよりは、それで両親に迷惑をかけるよりは得だと思ったからだ。
 ――パパは本当に馬鹿な子だったから、実際のところは何も考えずに流されていただけだった気がするし、被害者ぶって『なんの力もない子供だったから従うしかなかった』、『そこから逃げ出してもいいなんて発想がなかった』とかいいたいところだけど、やっぱりどんなに考えがおよばなくても、「体育に参加したら足を切り落とされる」ということになっていたら、泣いて学校を飛び出していたと思うんだ。
 当時のパパの気持ちがどうであれ、こう考えた方が自分の判断で自分の人生を切り開いてきた強い自分として生きていられるから、パパは自分の意志で、判断で屈辱的な思いを受ける体育にも参加し続けたんだと思うことにしたよ。
 後出しジャンケンで何が悪い。
 誰かのせいにしても誰も償ってはくれないし、自分の弱さを、卑屈さを、創造性のなさを肯定してしまえば、無能な弱者に自分をおとしめて自分の可能性を自分で狭めてしまう。
 過去を変えることはできなくても、その解釈を変えることはできる。
 自分は自分の判断に基づき自分の意志でこの人生を切り開いてきたのだと、誰のせいにもせず、全て自分の手柄にしてしまおう。
 誰にも君の人生の主導権を譲ってはいけないよ。
 自分は自分自身の気持ち良さを求めて生きてきた――そう思えればこそ、どんな環境にあっても自由に、主体的に人生を生きることができるんだ。