02「前世も来世もある」

2019年8月10日

 輪廻転生(りんねてんしょう)という考え方がある。
 これも無常に続くA先生から教わった仏教のお話だけど、簡単にいえば生き物は死ぬと身体から魂が抜け出て、また次の生き物に生まれ変わるという意味だ。
 ネットで検索すれば「前世の記憶を克明に覚えている子供がいた」なんて話がたくさん出てくるけど、実際に目で見て確認できることでもないし、にわかには信じがたいことだよね。
 ちなみにパパは若い頃、こんなの全部嘘だと思っていた。
 日本の宗教団体の中には「あなたの前世のカルマをこのお札(数十万円也)で浄化する」とか、そんなギャグでただの紙切れを札束に変える商売上手なところも少なくないので、証明のしようもないこんなことを信じる人たちは、だまされやすい馬鹿なんだとすら思っていた。
 だけど大人になった今、パパは前世も来世もあると考えるようになったよ。
 それは高額なお札によって救われたからではなく、前世も来世もあると思った方が人は幸せに生きられると思ったからだ。
 では、どうして幸せになれるのか。
 お品書きは次の通りだ。

 1 人生は一度切りだと思わないで済む
 2 理不尽に対抗できる
 3 結果に固執しないで済む

 また、一つ一つ見ていこう。

1 人生は一度切りだと思わないで済む

 前世も来世もあると考えるのなら、仏教ではセットで「因果応報」も一緒についてくる。
 悪いことばかりしていると地獄に落ちるとかいうでしょ?
 アレがまさに因果応報というもので、善い行いをすれば善いことが返ってくるし、悪い行いをすれば悪いことが返ってくるという意味だ。
「カルマの法則」ともいうね。
 カルマとは「行い」のことで、善いカルマを積めば善いことが、悪いカルマを積めば悪いことが、それぞれ自分に返ってくると。
 ただし、善いカルマを積んだって悪いカルマを積んだって、すぐにその報いがやってくるわけじゃない。
 人助けをした瞬間に財布の中身が増えているなんてことはなく、巡り巡っていつかその報いがやってくる。
 仏教では現世で積んだカルマが、現世だけではなく来世にも響くと考えるんだ。
 つまり、君の現世には前世の行いが影響している。
 分かりづらいと思うので、一つたとえ話をするね。
『小学生の頃、気に入らない相手をイジメていた鈴木さん。目には見えないものだけどその行為によりしっかりと悪いカルマが積まれており、大人になってからその報いが発動。小学生の頃にしていたような理不尽なイジメを職場で受けることになりました。さらに性格がひんまがってしまった鈴木さんは、ババアになってもやりたい放題。散々周囲に毒を吐き散らしてポックリ死亡。そのとき積んだ悪いカルマの結果、生まれ変わった先で最悪な祖母に育てられることになりましたとさ』
 ――カルマって病気やケガなど別の形で現れたり、「運」の善し悪しなどもっと様々な形で現れるものらしいんだけど、単純にいえばこういうことだ。
 子供の頃に行っていたイジメと、大人になってから味わうイジメ。祖母になってした酷いことと、祖母にされる酷いこと。そこに因果関係はなく、全くの偶然でただそうなっていると思うよりも、こんなふうに前世も含めた過去の自分の行いのせいであったと思えた方が幸せだよ。
 だって、自分は何も悪くないのに一方的に傷つけられたと思うよりは、自分にも非があると思えた方が我慢できるからね。
 それに、いつかは同じような思いをするのだと思えれば、悪事に手を染めないで生きて行ける。
 何をやってもなんの報いもやってこない――人生は一度切りで前世も来世もないと思ってしまえば、どんなに悪いことをしても現世を楽しんだものが勝者のように思えてしまう。
 たくさんの人を傷つけてもだましても、刺激の少ない退屈な日々を生きるよりは巻き上げたお金を使って毎日豪遊している方が幸せそうに見えてしまう。
 だけど、そんなふうに生きていれば現実的にも当然報いを受けることになる。
 人間の欲望は果てしないものだから、バレなきゃいいと思って始めたことでも、それで甘い蜜を吸ってしまえば制裁を受けるまで止めることができなくなってしまう。
 万引きも中小企業の経理が横領するのも、みんな最初は一度切りのつもりだったろうに、やめられないんだよね。
 そうして悪事が明るみに出てしまえば、刺激の少ない退屈な日々よりもずっと陰惨な日々が訪れ、せっかくの君の人生が何年も牢屋の中で浪費されたりと、取り返しのつかないことになってしまうかもしれない。
 そんな可能性を1%も残さないように、激しい欲望から自分を守るためにも、前世も来世もあると考えることは効果的だよ。
 たとえ現世で働いた悪事が誰にもバレずに死ぬまで逃げ切れたとしても、来世には必ずその報いを受けることになる。
 そう思えれば、他人の目や制裁がなくとも悪事に手を染めようと思わずに済むでしょう。
 また、あの悪いことばかりしている人がどうして普通に生きているのかとモヤモヤする気持ちも、ちょっと救われるものがあるよね。
 いつになるか分からない、それはもしかしたら来世になるのかもしれないけど、あの人もいつか必ず自分のした行いの報いを受けることになるから。
 これを書いている2019年の5月、神奈川県川崎市で引きこもりの男性がバスを待っている小学生たちに包丁を持って襲い掛かり、2名を殺害、18名を負傷させたあとで自殺するという事件があった。
 どんなに孤独であったとしても、来世もあると思えればこんなこと恐ろしくてできるはずがないよね。
 パパの知人にもずっと両親に「自殺してやる!」といって脅しながら二十年以上生き続けている引きこもりの方がいるけど、来世はしんどいだろうなと心底同情する。
 来世があると信じられれば、家の外には出れないとしても、せめて両親に対して善い行いをしようと思えるのに。そして、そのような姿勢で生きていれば自然と外に出て行く機会も増えるだろうに。
 ――他にも、パパの知人にはこんな人たちがいたよ。
 長年目指していた夢を諦めて、『このためだけに生きてきたのに、もう自分の人生は失敗に終わった』なんていって激しく絶望しちゃって、人生を投げ出してしまった人。
 結婚しているのに好きな人ができて、『やっと本当の恋を見つけた、あの人と結ばれなければ私の人生には意味がない』なんていって激しく燃えて、地獄に落ちていった人。
 みんな見事に不幸になっている。
 人生は一度切りじゃない。死ねば終わりじゃない。
 前世や来世が実際にあろうとなかろうと、そう考えた方が人は打たれ強くなり、欲望を律することができ、悪事を遠ざけて幸せに生きることができるんだ。

2 理不尽に対抗できる

 生きていると理不尽な目に遭うことは避けられないものだ。
 友人とただ仲良くしていただけなのにそれに嫉妬した人物から逆恨みをされて陰湿な嫌がらせを受けたり、ただ普通に仕事がしたいだけなのにパワハラやセクハラなど下劣な人間の欲望のはけ口にされたり、いつもの道を歩いていただけなのに車にはねられて一生寝たきりの生活になったり――例を挙げれば切りがないね。
 前世も来世もあると考えることは、このようなマイナスでしかない理不尽な出来事の数々をプラスに変えることができる、唯一の対抗手段なんだ。
 前述の通り、この現世で起こることには、これまでの前世の行いが影響している。
 自分が体験する理不尽な出来事も、全ては自分がこれまでの前世で積んできたカルマの結果だ。
 それは前世、前々世と何度も輪廻転生を繰り返す中で積み重ねられてきた、いつか必ず受けることになる避けられない報い。
 理不尽な目に遭った瞬間、それが一つ清算されたのだと考えることができれば、不要な荷物を一つ捨てて身軽になれたようなイメージが持てるよね。
 ただ一方的に損をさせられただけの被害者で終わっちゃいけない。
 君には君の人生をもっと主体的に、もっと自由に生きる権利がある。
 加害者を呪ったり運命を呪ったりと、大切な時間をそんなつまらないことで浪費しないためにも、何か理不尽な目に遭ってしまったときには、「この理不尽のおかげで未来は確実に明るくなるんだ」と思ってしまおう。
 そうじゃなきゃ、ただ泣き寝入りするしかないもんね。
 そんな屈辱的な思いをしなくていいんだよ。
 前世も来世もあると考えて、理不尽な出来事もポジティヴな体験にしてやろう。

3 結果に固執しないで済む

 みんながみんな自分の大好きなことだけをやって生きていければ素晴らしいことだけど、残念ながらこの世界はそんなふうにはできていない。
 電車もバスも飛行機も、座席の数が決まっているからね。
 理想の場所にたどり着ける人たちは、限られたごく一部の人たちだけなんだ。
 なんだってそうだよね。学校も会社もコンサートも、定員以上は入れない。
『夢は諦めなければ叶うんだというメッセージをこの作品から感じ取ってもらえれば』なんて、日本では1990年代以降たくさんのアーティストたちがいい加減な自己満を垂れ流してきたものだけど、それは成功者たち特有の客観性のないおごりの現れで、どんなに頑張ったって夢が叶わない人たちも大勢いる。
 だってあの人の身体は一つしかない。
 勉強でもスポーツでも、誰かが一番になれば他の人は一番になれない。
 それなのに素直な人たちは中身のないメッセージを真に受けて、夢が叶わないことを努力不足など自分自身のせいにして深く傷ついてしまったりする。
 夢が叶わなかったからといって、自分を傷つける必要なんてないんだよ。
 だって、どんなことも「結果=努力×運」だ。
 努力だけで上手くいくことなどなく、必ず運の要素が入ってくる。
 極端なことをいえば、努力が100あっても運が0なら結果は0だ。
 しっかりと勉強をして合格できるだけの学力を身に付けていたとしても、何かしらのトラブルに見舞われて試験を受けられなければ不合格だからね。
 逆に運が100あっても努力が0なら、これも結果は0だ。
 どんなに豪運でも願書を出して試験会場に行くぐらいの努力はしないと、合格通知が送られてくることはないからね。
 そこそこの大学に行くにはそこそこの努力とそこそこの運があればオッケーだけど、名の知れた難関大学を目指すには大きい努力か大きい運、またはその両方が必要となる。
 残酷だけど、これが本当のことだよね。
 夢は諦めなければ叶うものじゃない。諦めようが諦めまいが、叶わないものは叶わない。
 では、このどうしようもない「運」を決定付けているものってなんだろう?
 ――そう、これも前世も含め、過去に積み重ねてきたカルマの結果だ。
 こんなふうに考えることができれば、どんなことでも自分ができる限りの努力をしたら、あとはもう運次第だと思って結果に固執しないで済むよね。
 前世も含めたこれまでのカルマの結果なんて、現世でどんなに頑張ってもどうにかなることじゃない。
 自分にできる限りの努力ができたら、そこまで頑張れた自分を褒めたたえて次の夢を描いていこう。
 子供がテストで90点を取ってきても、100点ではいないということで叱る親がいるけれど、その額に0点と書いた紙を貼り付けてやりたい。
 10点ぐらい運で左右されるものなんだから、努力して勝ち取った90点を評価してあげることの方が大切だ。
 また、受験に落ちて自殺してしまう人がいたりするけど、他人の作ったルールで、土俵で、何をそんなに一生懸命になっているのかとツッコミを入れてくれる人がいないと可哀想だ。
 突然天災が起きて住んでいるところや家族を失ってしまったら、受験料も入学金も払えず何もできなくなってしまう。そんなもののためだけに人生を賭けるなんて、馬鹿のすることだよ。
 自分の中に蓄積したものだけは、外で何が起ころうと揺るがない。
 結果は出ずともそこに向かって努力してきた自分を誇れることができれば、自分を信じる力が、自信がついてくる。それは恋愛や就職など、次に目標とするあらゆる何かに必ず生きてくるから、固執するなら結果ではなく、自分ができた努力にしよう。
 それにさ、人生って長く生きて振り返って見ると「あのとき失敗して良かった」と思うことが山ほどあるよ。
 パパは仕事を変えるとき、希望する会社をいくつか不採用になってきたけど、どこも落ちて大正解だったと思っている。何回もその会社まで足を運んで面接もしたのにと、そのときどきの結果にはガッカリしたし屈辱的な思いもしたけど、そのおかげで最高のママに出会えたし、最高の君に出会えた。
 もしも採用されていたらと思うと、ゾッとする。
 理想の場所にたどり着いても、そこで悲惨な思いをして人生が台無しになる人だってたくさんいる。
 パパは道を間違えないで本当に良かったよ。
 ここまでおめでたい思考ができるようになれれば幸せだと思うでしょう? 
 幸せなんだよ、いつもありがとう。
 君も早くこっちにおいで!
 ――激しく脱線してしまったけど、では運を強化するにはどうしたらいいだろう?
 聡明な君ならもう分かるよね。
 そう、悪いカルマを積まずに、善いカルマを積むことだ。
 だから君には、ぜひ「優しい人」を目指してもらいたい。
「情けは人のためならず」という言葉もあるように、自分以外の他者にした善いことは、巡り巡って必ず自分に返ってくるからね。
 人生は一度切りじゃないと思えれば、どんなに他者に優しくしても、その報いを取りっぱぐれることはないから。
 それが未来に、来世に実を結び、幸せがたくさん巡ってきますように。
 いい学校に入らなくても、いい仕事に就かなくってもいい。
 積極的に善いカルマを積み重ねる、優しい人になってください。