8月17日 「サンサーラ」

2018年8月20日

蓮の花

最後にブログを書いたのは6月6日――約二ヶ月も前か。
その日から少しして、彼女のお父さんが亡くなった。

大好きな人たちからベビーベッドをいただいたり焼き肉をおごってもらったりしてかなり幸せだったのに、急転直下で一気に世界が変わってしまった。

そのときはとにかく彼女のことが心配で、なんで今死んじゃうんだと間の悪さに怒りもしたんだけど、49日もお盆も過ぎた今になって思うと、立派な方だったなと改めて感じる。

ご病気だったんだけど、妻と子供たちに何も迷惑をかけないよう事前に遺書を残し、これでもう自分の人生はいいんだと覚悟を決められていた節もあったらしい。

人間の気持ちは一つじゃないからきっといろんな感情があったことだと思うけど、スゲー境地だなって思う。運命を受け入れて全てを投げ出せる強さ――なんて言ってしまうとJ-Popの歌詞みたいで気恥ずかしいけど、確かにそんな笑っちゃうぐらい美しいものを心の中に持たれている方だった。

せっかくのご縁で僕の義理のパパになってくれたのに、勿体なかったな。もっと沢山話せば良かった。お酒を飲んだりしながら、その人生や考え方を学ばせてもらえば良かった。

……なんて、それこそファンタジーだけどね。実際にそんなシチュエーションがあったとしてもお義父さんから手を伸ばしてくれたとしても、僕は娘の良き旦那であるという仮面を絶対に外せず、本音なんて何も語り合うことが出来なかったはずだ。

僕がこんなにも純粋に畏敬の念を持てるのは、人生を卒業された先輩だからこそなんだよね。

そんな自分が悲しいとか語り出すと変な方向に行ってしまうので話を元に戻すけど、とにかく心から慕っていた人たちが葬儀後も献身的に手伝いに来られているとか、何を残して何を捨てたのかとか、彼女からいろんなエピソードをうかがうとその器のデカさに感嘆させられることばかり。

お義父さんとお義母さんのDNAを2分の1ずつもらった存在だからなのかな。それと同じものを彼女にも感じる。

お腹に赤ちゃんがいるのに、孫の顔を見せたかったのに、あんなに泣いたのに、今でも僕に最高の笑顔を見せてくれている。

感覚的な言い方だけど、芯の部分で依存していないというか、ある意味絶望しているというか、達観しているというか。

その崇敬すべき強く美しいところが、凛々しさが、僕らの子にも受け継がれるといいな。

彼女のDNAには入っていたんだから、きっと繋がっていくことだろう。

サンサーラ

そんなところで、最近激ハマりして毎日通勤の時間に聴いているのがザ・ノンフィクションの主題歌「サンサーラ」。

サンサーラとはサンスクリット語で「輪廻転生」という意味。

何度も繰り返されるサビのフレーズ。

生きてる 生きている
その現(うつつ)だけがここにある
生きることはサンサーラ

昔だったらワケわかんなくて退屈な詞だとしか感じなかったことだろうけど、今は聴く度に感じ入るものがある。

僕の解釈。

「今生に現れることは全て前世までのカルマの結果なんですよ」とお坊さんから聞いたことがある。

良いも悪いもなくて、幸せも不幸もなくて、みんなカルマの結果。

突然悲しいことが起こっても、偶然でも悲劇でもない。

いきなり嬉しいことが起こっても、奇跡でも特別でもなんでもない。

生きているからこそ、ただそれが目の前に現れているだけ。

――そんな風に赦せたらいいな。

美しく生きたいと思います。

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