アドラー心理学と「どういうわけか菜々緒さんのような女性と上手く接したいのに接することが出来ない」というコンプレックスについて

菜々緒

今日は軽くアドラー心理学をお勉強しました。

いくつか面白かった点をあげると、まずは精神的な問題を解決しようとするとき、過去の原因からではなく、その問題が生じている目的を考えるというお話。

たとえば僕には、どういうわけか菜々緒さんのような女性と上手く接したいのに接することが出来ないというコンプレックスがある。

職場にも同じような女性が一人おり、普通に世間話などをしたいのだけど、どうも彼女の前では過度に緊張してしまい、息苦しく感じる。

なんとか上手く話せればいいのになぁって、ウジウジいつも悩んでる。

ため息がでちゃう。。。

このようなとき、フロイト的な心理学では原因を過去のトラウマに求める。

記憶を辿れば、僕は思春期の頃、菜々緒さんのようなクラスメイトにイジメられていたことがある。

罵倒され、嘲笑され、無茶苦茶抜いた。

そんな過去のトラウマがあるからこそ、僕は菜々緒さんのような女性の前では恐怖心と興奮が無意識に呼び起こされ、ぎこちなくなってしまうのだ。

。。。アドラー心理学では、こんな解釈の仕方はしない。

過去は過去でしかない。

今現在の現実とは無関係な過去のせいにして、僕は菜々緒さんのような女性さんと接することを避けているだけなのだ。。。と、こう解釈をする。

問題は過去の原因ではなく、問題を生み出しているその目的

僕が「菜々緒さんのような女性と上手く接したいのに接することが出来ない」と思い続けている、その目的は何か。

それは、そのような設定にしておけば僕は彼女と接しなくて良いし、傷つかなくてすむから。

だけどそんな臆病な自分を認めるのは恐いし、カッコ悪いし、社会人としてもありえないと思うから、「どういうわけか菜々緒さんのような女性と上手く接したいのに接することが出来ない」という含みを持たせた設定にしているんだ。

その方が、自分が楽だから。

。。。いいね、この考え方。

「親にこう育てられたから私はこうなりました」という人がいるけど、それはその人の世界の中では正しいことなんだろうけど、そこに因果関係はないからね。

悪い親に育てられても立派な人もいる。

僕たちが原因と思っていることは、僕たちが安全で楽な生き方をするために、僕たち自身がでっち上げた空論に過ぎない。

人はもっと自由になれる。

変わることができる。

自らを狭めているもの。。。その目的に目を向け、意識化していくんだ。

さっきの例でいえば、「どういうわけか菜々緒さんのような女性と上手く接したいのに接することが出来ない」という設定を生み出し、接することを避けている自分に気付くことだ。

僕の中には、菜々緒さんのような女性と接したくない僕がいる。

その一方で滅茶苦茶に凌辱されたい、精神と肉体を削り尽くされながら絶頂に達したいという僕もいる。

ちょっとカッコ悪くて認めたくないところではあるけれど、勇気を持って認めることが大事。

過去に原因を求めたところで、人は変わることはない。

目的に目を向け、意識化し、それを積極的に解消しようとしていくのなら、人は変わることが出来る。

。。。ってな感じでしょうか。

希望に満ちた、いい考え方ですよね。

僕って人見知りなんですけど、人見知りという設定にしておけば頑張らなくてすみますからね。

そう思っておきたい。

そう思ってウジウジと同じ世界で苦しんでいる方が、肉体的にも精神的にも安全であることを無意識では分かっているからなんですよね。

それに苦しまないためには、認めること。

無理をしないこと。

どうしても変えたいなら、自分の気持ちをしっかりと認めながらちゃんと対策を練って、積極的に取り組むこと。

いいね。

あらゆることに対してこういった解釈が出来るようになれば、自分の人生の「主権」を取り戻すことが出来ますよね。

過去のトラウマなんて関係ない。

傷ついたこともあった。

事実もあった。

だけど今の現実を決定づけているのは、今の僕だ。

僕は誰にも左右されない。

毒されない、害されない。

全て自分で自分の都合の良いように解釈しているだけなんだと、自分らしく生きる力が湧いてきますな。

長くなったので、他に気づいたことはまた明日。