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電子書評第二回!
今回は「飯野賢治」先生の「ゲーム Super 27 years Life」をご紹介します。
Amazonさん紹介文
『Dの食卓』『エネミー・ゼロ』『リアルサウンド』…。ゲーム史に残る野心的な挑戦を通じて不朽の伝説を築き上げた夭折の天才ゲームクリエイター・飯野賢治が残した唯一の自伝を彼の一周忌を機に星海社文庫化。「なにか」を成し遂げようとする“あなた”のために書かれた飯野の熱い言葉は生き続ける。永遠に。
世界が広がる、ゲームが始まる
二回目にして「電子書籍ではない」という素晴らしい展開をみせております当ブログですが、まぁ良いじゃないですか。
こちらは2013年に亡くなった夭折の鬼才、ゲームクリエイターの飯野賢治先生が27歳にして書かれた自伝です。
当時、彼が「ゲームの制作発表会を開催します」と声を上げれば、東京国際フォーラムに一万人が集まりました。
芸能人でもミュージシャンでもない彼がそれほどのカリスマへと駆け上がっていった背景には、多数の「飯野信者」を生み出したとされるこの本の影響が大きかったことでしょう。
それだけこの本には人を惹き付け、動かしてしまうエネルギーがあります。
簡単に内容紹介をしていきましょう。
飯野先生は1970年5月5日、東京都荒川区に生まれました。
その家庭環境は決して恵まれていたとは言えず、小学二年生のときに母親が蒸発。兄弟はおらず、以後シングルファザーの家庭で育ちます。
その孤独が自立心を育てたのでしょうか。飯野先生は小学生の頃から誰かに与えられることを待っていない、自らが目をつけ、興味を持ったことを自発的に追求していく子供でした。
デザインが洗練されていると感じた「パックマン」に惚れ込み、自作しようと独学でプログラムを学ぶ。
親に薦められたわけでもなく、12歳にしてプログラムコンテストにゲームを作って応募し、入賞。賞金で当時高価だったビデオデッキを購入。
幼稚園の頃からビートルズが大好きだった結果、日本の音楽シーンに絶望する。しかし、小学四、五年生の頃に出会ったYMOの虜になり、自信を取り戻します。
……凄くないですか?
僕なんて、小学生の頃はメディアからどんな影響を受けても「スゲー」と思って終わりだったのに、飯野先生はその頃から高校生のようなものの見方、感じ方をしているんですね。
そんな早熟すぎる飯野先生は、受験用に教えられる授業が面白くなくて、高校では不登校になってしまいます。
そうして何をしていたかと言えば、引きこもるわけでも不良たちと群れるわけでもなく、アマチュアのオーケストラに加入したり、バンド活動をしたり、現代アートにハマったりします。
やがて高校を中退。その後はアートへの傾倒をより一層深め、毎日のように本を読みレコードを聴き、佐渡島や北海道など国内中を旅します。
そんな状態もやっていられないと18歳にして適当な会社に入社するも、詐欺まがいの営業をしていることに嫌気がさして初日で退職。
続けて入った会社は教育係の尊大な態度が鼻につき、喧嘩して三時間で退職。
いよいよ後がないぞと入ったゲーム会社はスーパーブラック。毎日泊まり込みで働き、入社した月は五日しか家に帰れないほどでした。
そこも一年で退職し、自ら会社を立ち上げます。
そして高校中退から三年も経たず、十九歳にして代表取締役社長の誕生です。
……もうね、普通の人の何倍ものスピードで人生を駆け抜けているようにすら思えます。
ふくよかだった体型のせいで大人に見られていましたが、ゲーム雑誌に出まくり、「ゲーム業界の風雲児」と呼ばれていた頃は二十四歳ですからね。
この本ではさらにその後、「Dの食卓」、「エネミー・ゼロ」というヒット作を発売するまでが書かれています。
「飛行機上でデータをすり替えた」、「ソニーの会場で当時敵対関係にあったセガのロゴを出した」等、その後も刺激的なエピソードが山ほど出てくるのですが、実はもっと彼のことを知ると繊細で寂しがり屋で、そしてとにかく人間くさい、優しい人であったことがわかります。
とにかく飯野先生の発想や物事の捉え方、考え方の主軸にあるその感受性の豊かさは尋常じゃありません。
それが口語体で語りかけるように綴られているこの本には不思議な力があり、読み進めているうちにまるでその感性が自分の中に宿ったかのような感覚に陥るのです。
そしてこの本を読み終えたとき、世界が変わって見えます。
飯野先生を知っていながらこの本を読んだことのない方は勿論のこと、ただ面白い本が読みたい方にも、身体の中に新しい血を巡らせたい人にも、この本を強くオススメします。
ゲームが始まります。